発売後1年経過しないパソコンには手を出してはいけない?

「よいパソコン悪いパソコン」の著者である大庭俊介(1992年前期版まで)の持論に、「発売後1年を経過しないパソコンには手を出してはいけない」というのがあった。

この文を見ただけではどうしてなのか分からない面があるが、「バグが憑きもの」「モデルチェンジが怖い」の二つがあげられていた。当時(1984年頃)はまだ8ビット機が主流であり、技術的に未熟な面があるから、設計上の間違いなどから生じるバグ(どおりでOh!PCのスーパー88シリーズは訂正を訂正する有様だったわけである)があったし、買ってから1ヶ月も経たないうちにモデルチェンジ、等ということが頻繁にあったのだ。

筆者の経験からはパソコン自体のバグに引っかかったことはないが、モデルチェンジという点には頷けるものがある。

JR200(松下通信工業電卓事業部発売)

1982年11月発売。価格は79,800円ということで、ROMは16KB(JR-BASIC)、RAMは32KBということになっており、グラフィックス画面はなくテキスト画面だけを持ち、8色表示ということになっている。サウンド機能はPSG音源ということになっている。カタログでは「未来派パソコン」だとか、「これからのパソコンです」等とパソコンがあればなんでもできるとする「パソコン万能幻想」をあおる内容だった。主にナショナルの系列店で販売され、中には売ることだけが目的の非良心的な店もあった。

当時NHKでマイコン講座(当時はパソコンではなくマイコンと呼ぶ方が普通だった)が放映されていたが、最初の4回分はJR-BASICで作ったプログラムが取り上げられていた。あとは月刊マイコンに1回だけゲームが取り上げられた程度だった。主にゲームがナショナルから少し出ていた程度で、広告に書いてあるような「フロッピー、プリンタを接続してビジネス用にも・・・」というのは性能面からいっても無理なことだった。

1983年秋にはファミコンが発売され、さらにMSX規格が発表されると、それらにも性能面で負ける、という有様であり、この頃から雑誌広告もパッタリと姿を消してしまった。1984年のマイコンショーで発表されたJR300を持ってJRシリーズは事実上終了、以降松下電器主体でMSXパソコンへ主軸を移している。

当時すでにNEC/シャープ/富士通の御三家が市場を独占している状態であったから、低価格の入門機であっても割り込める余地がなかった。

PC-8001MK2

名機、PC-8001の後継機、という位置づけであり、1983年2月発売。価格は123,000円。ソフト数千、高感度パソコンともカタログに打たれた。グラフィックスは640×200ドット時モノクロ表示、320×200ドット時8色中4色選択、オプションのJIS第一水準漢字ROMを専用スロットに入れてグラフィックス画面に漢字表示可、グラフィクスとテキストは別々の画面で合成可、インタフェースが充実していて、RS-232C、プリンタ、汎用I/Oポート、汎用拡張スロットが2個装備、となっていた。

しかしソフトが充実している、といってもそれは前機種であるPC-8001用のソフトが充実している、ということであり、その範囲内でしか応用できないのである。実際にPC-8001MK2用に特化したソフトは出てこなかった。そればかりか、1983年後半にはパソコンショップに行ってもソフトはまずない。ゲームソフトさえもない、という有様だ。

グラフィックスは当時の同価格帯のPCでは640×200ドット時8色表示が普通であるから、PC-8001MK2のグラフィックスは明らかに時代遅れであった。また、同価格帯のPCではPSGによるサウンド機能が普通だったが、PC-8001MK2では貧弱なBEEP音のみであった。

1983年7月にはPC-6001mk2が発売(84,800円)され、こちらは漢字ROMが標準装備され、教育用漢字を含む1024文字の漢字が標準で扱えること(グラフィックス画面に表示)、テキストとグラフィックスは別画面であり合成可能、グラフィックスは320×200ドット時8色中4色選択、160×200ドット時15色表示可、パソコン画面とテレビ画面とのスーパーインポーズ機能、PSGに加えてボイスシンセサイザーも標準搭載して喋らせることも可能となるなど、どちらが上位機種か分からなくなってしまった。

1983年10月にはPC-8801mk2が登場し、FDDオプションのモデル10の価格は168,000円だったが、こちらはJIS第一水準漢字ROM標準装備、モデル10にフロッピードライブを内蔵するとPC-8001MK2にフロッピードライブを接続する方が高くなってしまうという有様だった。言うまでもなく、PC-8801mk2の方が性能は格段上であり、提供されるオプションやソフトも圧倒的にこちらが豊富である。

パソピア7

1983年7月に発売されたパソピアの後継機種。横山やすし親子がCMキャラとして採用され、640×200ドット時8色表示やカラーパレット機能、PSGサウンド機能と、当時としては平均的な機能を備えていたし、設計コンセプトもなかなかよかった。当時すでにNEC/シャープ/富士通が市場を押さえており、入り込める余地がなく不運に終わっている。

途中からはCMキャラは変わり、1985年末とかなり遅くまで発売されていたが、東芝はこの頃すでにMSXに8ビット機を主軸に移していた。

マルチ8

1983年に発売された機種で、640×200ドット時8色表示やPSGサウンド機能等当時平均的な性能を備えていたが、これ以外にこれといって特徴がなく、またデザインも安っぽいものであった。メーカー自体にも熱意がなく、早晩消えていった。結局三菱も8ビット機をMSXに主軸を移した。

8ビット機は1985年にPC-8801mk2SRやX1ターボシリーズ、といったマシンが完成型となっている。1986年以降はPC-8801MHやX1ターボZ、FM77AVなど低価格なホビーマシンへと変貌を遂げていくのだが、同時に16ビット機の急激な普及(PC-9801が事実上日本の標準機になる)もあり、1988年で8ビット機全体が終焉を迎えるが、PC-8801系は1990年までとかなり長く続いていた。

大庭俊介の「発売後1年を経過していないマシンに手を出してはいけない」は8ビット機全盛期とモデルチェンジの都度お金がかかるようにできている(?)PC-9801全盛期によく見られた現象であり、現在ではあまり考えられないことではあるが、やはり頭に置いておきたいことである。

(文中敬称略)

あとがき
1980年代前半は8ビット機全盛期だが、統一規格と呼べるものはなく、各メーカーがバラバラな規格で出していたから、ユーザー数が多いPCを買わないとソフトがない、ハードもない、といった目に遭い、結局買い換えるしか方法がなかった。1985年以降は事実上PC-9801の時代へと進むのだが、同時に8ビット機全体が衰退していった。
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