NECのPC-8801シリーズが全盛期だった頃、ソフトバンクから発行されていた人気企画にスーパー88シリーズ、いわいるSS88シリーズというのがありました。これは、2回にわたりDisk-Oh!PCに収録されて発売されたので、利用した人も多かったのではないでしょうか。
独自のディスクBASICを作るという企画
NECから純正のディスクBASICが発売されていましたが、これを上回るものを作る、という企画でした。1984年5月から連載が始まり、1986年5月で連載は終了しています。著者は小林篤氏ですがPC-8801MK2機能拡張シリーズの小林秀一氏とは何の関係もありません。
ディスクBASICと合わせて搭載されたマシン語モニタ
NEC純正のシステムにはマシン語モニタがありましたが、Z80をCPUとして搭載していたのに何故かニーモニックはインテル仕様という不思議な構造になっていました。SS88ではZ80本来の表記であるザイログ仕様で記述できるようにしたことから大好評を博していました。
日本語BASICのプログラム
1985年には日本語で表記できる日本語BASICのシステムが発表されましたが、その間1ヶ月の空きがでていました。相当プログラム開発に難航を極めた(泥沼にはまったということ)ためと最終回で書かれていました。本格的な日本語辞書、というのは企画倒れに終わりましたが、ごく簡単な日本語辞書機能は搭載されていました。
PC-8801MK2SR登場後は意味がなくなりつつあった企画
PC-8801/PC-8801MK2のV1モードで動かすDISK-BASICとして開発されたこのSS88は、PC-8801MK2SR登場後はV1モードは過去のソフト資産を生かすために残っていたわけで、以降はCGやFM音源を生かせるV2モードに主力が移っています。このため、SRモデル以降を購入したユーザーにはさほど意味がなくなっていました。
それでも、あえて買い換えないユーザーからはV1モードを見捨てないでやっているというイメージを持たれていたようです。
バグの多さが目立ったSS88
SS88は、バグが多かったことで読者から苦情が毎回のように来ていたというもので、時には訂正を訂正するという有様でした。これについて、作者は毎月の連載となると日程的に1週間で48KBプログラムを書かねばならなかったこと、システムが複雑になると作者でも不明なバグに出くわすことも度々で、日本語BASICになると1ヶ月間泥沼にはまるという情勢だった、と最終回で書いています。発送から構想、構想からプログラム、そして原稿書きをたった一人でやるのはかなり過酷な作業であることを理解していただければうれしいのですが・・・と最終回で書いていたのが印象に残っています。相当の苦労があったことを伺わせる文章です。
PC-8801のOSを作る企画は、その後、IDOS88へと引き継がれます。
大学生のバイトとしてもあったプログラム連載企画
SS88、PC-8001MK2機能拡張、PC工作入門という連載企画は、いずれも大学生の書いた記事であり、プログラムを作ってソフトハウスに売る、という商売の延長にあったものです。
これらの企画があったことが、他のOh!シリーズが早晩消えていったのに対し、Oh!PCだけが最後まで残れた原動力であっただろうと私は考えています。


