JR100の発売から1年後、1982年末に発売されたのがJR200で、互換性はない。カラー8色表示、サウンド、ユーザー定義文字数の増加などが行われていた。
いわいるゲームパソコンで、消しゴムキーボードは相変わらずだった。松下通信工業電卓事業部製造、松下電器(ナショナル)発売。
カタログでは「よいパソコン悪いパソコン(大庭俊介+PUG編著)」でいうところの「万能パソコン幻想」を書き連ねていて、当時既に当たり前だったカナ文字や8色カラーをさも大げさに書いている。
JR200のスペック
- CPU
MN1800A(6802相当品) - サブCPU
MN1544(キーボード等用) - ROM
16KB(JR-BASIC)
キャラクタROM2KB - RAM
メインRAM:32KB(ユーザーメモリ16KB)
VRAM:2KB - テキスト画面
32文字×24行、文字・バックともにキャラクタ単位で任意に色指定可能(8色)
マトリクス文字:6×7ドット、192種
セミグラフィック文字:8×8ドット、64種
ユーザ定義文字:8×8ドット、64種 - グラフィックス画面
64×48ドット。ドットごとに8色で任意に色指定可能 - ディスプレイ
RGB同期分離方式/コンポジットビデオ方式
RF変調方式(家庭用テレビ)
モノクロディスプレイ - サウンド
5オクターブ3重和音 - カセットI/F
FSK方式、1200Hz(スペース)、2400Hz(マーク)/600ボー、2400ボー切り替え - ジョイスティック
アタリ社仕様2端子 - プリンタI/F
セントロニクス社準拠 - 拡張バス
FDD等接続可 - RS232C
オプション(受注生産) - 添付品
取扱説明書、カラーディスプレイケーブル、RFケーブル(家庭用テレビ接続用)、カセットケーブル、保証書 - 本体標準価格
79,800円 - 発売
1982年12月? - 別売マニュアル
プログラミング入門書。1,800円
JR200の特徴他
デザインは一体型、といわれるコンパクトなもので、カラーはシルバーベースとなっている。背面には家庭用テレビに繋ぐためのRFモジュール、専用ディスプレイのRGB端子、モノクロディスプレイ端子、プリンタ端子、ジョイスティック端子、カセット端子、拡張バス端子がある。拡張バスにFDDを接続する。なおオプションでRS232Cが搭載できる。BASICは少数計算や浮動計算もサポートされている。
- ジョイスティック:アドコム電子製のものが2個接続可能。後にナショナルからも発売。
- プリンタ:EPSON MP-80IIIシリーズが接続可。後にナショナルからも発売(JR-P01)。
- フロッピードライブ:本体背面にある拡張バス端子に接続するもので、ナショナルから、2D(320KB)1ドライブのFDDが発売された。2ドライブまで増設可。
- RS232C:受注生産。外部機器や通信線も接続可能になるということ。背面の取り付け位置は塞がれており、RS232Cを取り付けるときに外すようになっている。
- カセット:2400ボーまで可能で、当時としては高速。カセットレコーダーとプログラムレコーダーが用意されたが、どちらも大きな違いはなく、音楽テープの再生もできる。
- キーボード:消しゴムキーボードと呼ばれるゴム製のもので、耐久性に問題がありそだが、電卓事業部の開発だから問題ないだろう?このキーボードにはBASICの命令語が割り振ってあり、入力が楽になっているが、キーを押すたび音が鳴るのでうるさく感じる。
- ディスプレイ:専用カラーディスプレイ、モノクロディスプレイ、家庭用テレビに接続できる。家庭用テレビでは色が滲んで汚らしく見えるのでやはり専用ディスプレイに接続することが勧められる。
ソフトはない、本はない…
実際のところソフトはナショナルからゲーム/実用ともカセットテープ版が数本発売された程度で、雑誌の取り上げ度もほとんどなかった。入門書もナショナルから1冊出ただけだった。とはいえ、NHKのマイコン講座に4回取り上げられたのは以外だった。
1983年6月に発売された任天堂のファミコンに負ける設計コンセプトだった上、他社の低価格機との競争に生き残っていくことはできなかったようだ。
筆者が卒業した高校では、1984年にJR200を10台購入している。本体+カラーディスプレイ+カセット+プリンタ+フロッピーのシステムだった。このことから、1984年までは販売されていたことになるが、最終的にJRシリーズは脱落し、MSXパソコンに後を譲る形になっている。製造終了後、7年間は修理対応となるので、1992年頃までは修理が可能だったということになる。
やはり発売後1年を経過しないマシンには手を出してはいけないという原則の正しさが証明されているような気もする。
寸評:貧弱な万能幻想のみ